今回は医学と心理学でみる発達障害について
発達障害という言葉を辞書で索引したら、「心身の機能の発達が困難な、あるいはきわめて緩慢な状態、あるいは幼児期に起こり、成長過程においても精神・知能・感情などの発達が阻害されたままの状態」と言われています。
障害の内容から、脳や耳などの神経系などのものもあれば、自閉症やADHDのような精神的なものもあります。
昨今では、精神的な障害に注目されていることもありますが、当てはまらない人からするとどういった状況なのか理解することが難しいものです。
実際に、発達障害のある人達が何を感じ何を思っているのかを、記述することは困難でありますが、当事者などの生活モデルからそれを知ることが出来るのかもしれません。
知的障害(精神遅滞)のある人
この言葉は、明らかな平均以下の知的機能(IQ70以下)と、生活適応能力の不全が18歳未満で認められた場合と言います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とらる子供のケースでは、社会的規範は遵守し、集団行動もとれているが、会話となると俯いてしまうといった状態でした。
その子にとっては、日常生活すべてが「できる・できない」と評価され、会話で失敗すると出来ないと評価されるため、緘黙的態度を示していたのではないかと考えられています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次の子のケースでは、自分がどれくらい馬鹿なのか知りたい、だって勉強を頑張ってもテストで10点ぐらいしかとれない、自分が馬鹿なのは知っているけどどれぐらいなのか知りたい、という質問から始まったようです。
この子は、テストや勉強のたびにわからないことに直面はしているが、今の力で如何に生きるか?という前向きな態度が見られます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これらの子たちのケースからは、失敗体験による自信の喪失、無気力、出来ないことへの悩み、イライラすることで自己評価が高まらずに無力感に陥ります。
この見解がすべてではありませんが、知的障害を持つ人々の心理とはこのような状態を示していることもあります。
広汎性発達障害のある人
社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害と行動の障害、感覚の敏感さといった特徴があるのが広汎性発達障害と呼ばれます。
最近だと、知能の遅れがない場合を高機能自閉症とよび、言語表出の遅れのない場合をアスペルガー症候群とよばれています。
広汎性発達障害とは、自閉症とアスペルガー症候群をくくった総称ことでもあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とある少年は、カウンセリングに価値を見出せないし、無意味だと思う、放っておいてほしい、最後には誰の手も煩わせずに海に捨ててほしいと落ち着いた様相で述べたようです。
広汎性発達障害のある人の自己観は、自己評価、自尊感情という間接的にも他者が存在する世界からの評価がなされておりません。
グニラ(Gunilla,1997)によれば、「周囲の人間たちは誰一人,私が何を必要としているのか,わかっていないらしい,ならば自分を守るために必要な手は全部,自分ひとりの判断で打たなければならない。私はこんなに大切なことなのに,こんなにわかりきったことなのに,誰一人その理由を知らない」と述べていました。
注意欠陥・多動性障害のある人
年齢不相応な著しい多動性、注意散漫、衝動性が生活場面の至るところで長期的に観察される場合は診断を検討されます。
先天的な中枢神経系の機能障害と理解される側面では、臨床的に発達障害に分類されています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とある男性がいうには、思考が途切れる、上手く考えられないことに最も悩まされるそうで、新幹線に乗った状態で通過駅のホームの掲示を読み取るぐらい困難であるそうです。
人と話していても、虫食い状態であり、ぼんやりとして話を全て聞き取ることが出来ないようです。
別の男性がいうには、会話中に急に目が虚ろになり生返事なることがあり、とても良いことが閃いた瞬間であったようで、その時は周囲の声が全く聞こえていなかったそうです。
これらのように、会話途中で頭が散りかりながら話しており、散らかるが末に会話が出来なくなるという特徴がみられます。
広汎性発達障害とは違い、どのようにすれば円滑にいくのかをイメージ出来ていながら、実現できないことがあるため、達成感を得られない、自己評価が下がるという体験を続けてしまうようです。
学習障害のある人
全般的な知能発達の遅延はないが、聞く、話す、読む、書き、計算する、推論する能力のうち特定のものの習得と実行に著しく困難を示す状態である、とされています。
原因として、中枢神経系の障害が考えられていますが、感覚器に異常や障害があるものではなく、環境的な要因が直接的な原因でもないと定義されています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とある男性がいうには、児童期に読み書き障害が判明し、漢字が書けないことを怠けているといわれ、通った高校では教員から、高校に通っていても友達は出来ないし、漢字が読めない、書けないと知られれば友達は避けていく、高校を辞め他の道に進んだ方がよい、先生も大変なのよ、と言い捨てられたそうです。
別の男性では、勉強しても、努力しても文字が書けないことを、自分は知恵遅れなんだと思いましたが、同時に自覚できるくらいだから遅れていないと明るく落ち込んだ、という話もあります。
義務教育は一定の学力を養える半面、学習障害を持つ人にとっては読めない、書けない、計算が出来ないということがあるので、そうでない人からすると生きづらく、努力していない、怠けていると思われます。
障害を診断されても、その人たちは「努力不足」を恥じているようです。
知る努力
前述してきた発達障害には、様々な特徴がありますが、それらが生活場面での生きにくさに直結しています。
障害は個性である、と気軽に言ってくれる専門家などがいますが、当事者からすれば、出来ないことで苦しんだことを個性などと簡単に言ってくれるな、と思う人もいます。
これらの人たちの心理に近づくためには、その人たちにある「主観的体験」を知ることであり、障害体験に近づくことを意味しています。
発達障害の生活において、ゴールは障害の消失や克服ではなく、今の出来ないことを引き受けて何とかやりくりしながら、自分の最大限をその都度生きていく中で次の力が伸びていくことである。
そのため、発達は結果であり目標ではないということです。
犯罪・非行の心理学 著 藤岡淳子氏