今回は医学論文の捏造に関して。
このブログは、医学と健康に関して後悔しないような選択肢をとってもらうために、 科学的根拠の高い論文などを紹介し、それをどう使っていくべきなのか?を私が解説・提案していくブログです。 メールアドレスでの登録も宜しくお願い致します。
まず2012年夏に東邦大学医学部にて172本の論文を捏造したというニュースは、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか?
私も医療関係とは違う仕事をしていましたが、このニュースは記憶にあります。
その時は論文など読む知識も持ち合わせていないため、
そういうことがあるんだなぁーというぐらいにしか認識しておりませんでした。
それから勉強した私にとって、
論文とは「最高に質の良い娯楽雑誌」だと思ってもいます。
何で捏造が起こるのか?
そもそも医学論文というのは、科学雑誌であり娯楽雑誌でもある性質を持っています。
読者がいるものとなると、目に留まりやすいポジティブスタディな記事を増やそうとし、ネガティブスタディは採用されにくいものになります。
例えると、画期的な発見!と失敗しました、良い結果が得られませんという記事はどちらが見たいか?と聞かれると一目瞭然な答えになるのかと思います。
これは日本だけの話ではなく、世界中の科学者に共通している話だそうで、みんなポジティブスタディを発表しようと躍起になるようですね。
そうなると、研究者らは実験中に「少し良くなりました」と言わせるがために恣意的となるため不正?が起こりやすくなるわけです。
どこからを不正とするのかは、中々難しいようでグレーゾーンという認識があるようですが。
防止策として
倫理教育を徹底する、査読システムの改善、罰則を設けるという措置を検討はしているようですが、医学論文の捏造は続くのではないか?と言われています。
そういった捏造をせざる得ない環境を無くすことが大前提となり、それが難しいとも言われている中Nature Medicineでこういった案が出されていました。
「研究者が人生の中で発表できる論文は20まで」
こうなると必然と質は向上しますが、大反対でしょうね。
それらを踏まえて論文を読むことは
私自身、そういうことも含めた論文だと思って読んだ方が良いと認識しています。
日本人だけかはわかりませんが、教科書に書いてあることが唯一の正解、それ以外の論議などあり得ないという傾向が発言から読み取れる場合も会話をしていて感じることがあります。
但し、私のように自分の発言すら疑い検証してそれらのもたらす結果を積み重ねるという生き方も面倒なものだと思うので、前述したような方々を否定する気はありません。
人が正解というなら、それも1つの答えなのでしょう。
私自身が記しているブログは、自分自身で経験や体験して得られる知識以外の知識を取得して頂き、自分の人生を決定する上で後悔しなくていい選択をするためのものと捉えて頂きたいです。
少し、語りが入り気持ち悪いと思う自分を感じますが、
医学論文を読んだり、情報を得るときにはこういった側面があるものだと思ってください。
それでも、「こんなこと言われたら何を信じればいいのかわからなくなった」という人もおられることもあります。
そんな時には「自分が選択をした」というプロセスを信じてください。