今回は医学論文に捏造が絶えない理由について
皆さんは医学の研究論文など見ますか?
このブログでは、9割以上の記事は研究論文による情報を紹介しているので、1日に10~15つの論文を見ていることになります。
論文といえば、2012年夏に東邦大学医学部にて172本の論文を捏造したというニュースは、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか?
私も医療関係とは違う仕事をしていましたが、このニュースは記憶にあります。
その時は論文など読む知識も持ち合わせていないため、そういうことがあるんだなぁーというぐらいにしか認識しておりませんでした。
私も医療関係とは違う仕事をしていましたが、このニュースは記憶にあります。
その時は論文など読む知識も持ち合わせていないため、そういうことがあるんだなぁーというぐらいにしか認識しておりませんでした。
何で捏造が起こるのか?
医学論文というのは、科学雑誌であり娯楽雑誌という性質を持っています。
読者がいるものとなると、目に留まりやすいポジティブスタディな記事を増やそうとし、ネガティブスタディは採用されにくいものになります。
例えると、画期的な発見!と失敗しました、良い結果が得られませんという記事はどちらが見たいか?と聞かれると一目瞭然な答えになるのかと思います。
これは日本だけの話ではなく、世界中の科学者に共通している話だそうで、みんなポジティブスタディを発表しようと躍起になるようですね。
そうなると、研究者らは実験中に「少し良くなりました」と言わせるがために恣意的となるため不正?が起こりやすくなるわけです。
どこからを不正とするのかは中々難しいようです。
防止策として
倫理教育を徹底する、査読システムの改善、罰則を設けるという措置を検討はしているようですが、医学論文の捏造は続くのではないか?と言われています。
そういった捏造をせざる得ない環境を無くすことが大前提となり、それが難しいとも言われている中Nature Medicineでこういった案が出されていました。
「研究者が人生の中で発表できる論文は20まで」
こうなると必然と質は向上しますが、大反対でしょうね。
論文を読む、ということは
日本人だけかはわかりませんが、どんなことにでも自分で考えずに"答え"を求める人はいます。
他人が示したものがすべて、な人にとっては捏造された情報を信じることは詐欺だ!とでも騒ぐのでしょうね。
あくまでも情報は誰にでも公開されているものが多く、その情報を信じるのかどうかを選択しているのは貴方なのに、情報を鵜呑みにしたことの行動を責めずに情報発信者だけを責め立てる風潮があります。
教科書や論文もそうですが、研究者らが仮説を立て、その仮説を証明するために検証し、それらから得た結論を発表しているものです。
それは私にとっては、これから起こる選択に対し、選択肢をくれる指標とはなりますが、決定するのは自分です。
得た情報を使うのは自分なので、自分の選択に責任は持ちましょうね?って話です。
そして、閲覧数や名誉を勝ち得たいがために捏造するのは止めて欲しいものですね。
まとめ
医学論文とはこのような状況下で書かれている背景もあります。
知識を増やすための「娯楽誌」という側面もありつつ、実践される方法が記されていることもあります。
そういった捏造に惑わされないように、見る側も「見方」を知ることが大事です。