今回は医療従事者が勘違いしやすいニーズについて
エビデンスというよりは、書籍や心理学的な部分から考察する内容となります。
私も含む医療従事者は、提供を望む人に対して医療関連のサービスを提供します。
しかし、時には行き過ぎたサービスや見当違いのサービスを提供したりすることもあります。
では、何故そのようなことになるのか?
どうすることが理想とされるのであろうか?ということを考察してみましょう。
承認欲求
人には認めて欲しい。という承認欲求というものがあります。
これは患者側も医療従事者側も当然にあることなのかと思われます。
患者側としては、自分の辛さ、痛みを理解して欲しい。どうにかして欲しい。などの欲求があるため話を聞いて欲しいもので。
そして医療従事者側としては、提供者として優れている。という優越感を得るために患者に承認して欲しい。ということがあります。
いやいや、医療従事者として優れているなんて思ってはいませんよ。
そう思われている人も多いのでしょう。
私の経験上でも、多くの医療従事者は提供する技術や知識に絶対的な自信を持っているようにも思えます。
「私は間違っていない。」と。
提供する技術や知識にそれらの自信をお持ちの人は、自分が優れていることをわかって欲しい欲求があるのかもしれない。と考え直す必要はあるのかもしれません。
医療関連の知識や技術は、求めている人がいるので役に立つもの。
しかし、求められてもいないそれらを提供し、自分が優れているのだ!と思わせるような行為をしていないか?
そういうことを考え直す必要はあるのかもしれません。
casereport
私が所属していた医療関連施設ではこういったことがありました。
医療従事者は長年その業界に携わっており、自身の手技などで多くの患者さんから感謝をされており、著名人や権力者などの人脈や人に気に入ってもらえていることを誇りにしている人でした。
そういうことを他人や同僚に自慢するようなタイプのヒトです。
その人はある時、膝の痛みを訴える女性の患者さんを対応しました。
その患者さんは膝の痛みをどうにかして欲しいので、関係することなら受け入れるように、その医療従事者が提案する骨盤周りの調整も受け入れました。
しかし、膝のことなどお構いなしに骨盤調整に執着した施術は、通常通りに提供され患者さんは納得できないまま施術は終了しました。
経験年数が長い医療従事者にありがちになりますが、主訴に対処するには遠隔した部分への介入が有用であるため、主訴を蔑ろにする考えをする人がいる。という話でした。
この話での女性の患者さんは怒って来院されることは二度となくなりましたが、
こういったことは日常的に行われているようにも考えられます。
「人の話を聞く」「ニーズを探る」
少しビジネスを学び、知らない人に対してドヤ顔を浮かべながらこういったことを口癖にしますが、案外そういう人ほど人の話など聞いていません。
上述した例と共通しているように考えられるのは、
「凄い自分を認めて欲しい」ということ。
まとめ
心理学などの学問、経営に関することなど勉強することはとても大切です。
しかし、使い方が偏ってくれば上述したようなケースを招いてしまうことも当たり前に。
ではどうするのか?
自分を認めてもらうのではなく、相手を認めるということを常に考えてみましょう。
参照にした書籍などは質問されたらお応えいたします。